水飯(すいはん)で夏を乗り切ろう
毎日暑い日が続いて、体調不良を訴える人が増加しています。
山形県の最上地方では、食欲の低下する夏場の季節食として、古くから素麺(そうめん)や冷麦(ひやむぎ)などと同様に「水まま」とか、「水まんま」という名前で、冷えたご飯に冷たい水をかけて「水飯(すいはん)」にして食べる食べ方がありました。ご飯をこのようにして食べるやり方は、平安時代から見られ、「今は昔」で始まる『今昔物語集』では、三条朝成(さんじょうのあさなり)という公家が水飯を食べたり、源氏物語の『常夏の巻』では、光源氏が水飯を食べたりしています。この時代は、まだお茶は貴重品で、冷やした緑茶や麦茶などをかけて食べる「冷やし茶漬け」はずっとあとの時代になってからの食べ方です。
少し硬めに炊いたり蒸したりした冷や飯をざるに入れ、流水で洗ってぬめりをとってからお椀に入れ、冷たい水をかけると、水飯になります。冷蔵庫などがなかった時代は、冷えたご飯を夏場に一晩おくと、腐らないまでも、少し傷んで匂いがするようになります。そんなご飯の表面を水で洗い流すことで、匂いを取り除き、安全においしく食べることができるようにしたのが水飯なのです。
昔は、蒸した米(主に玄米)を乾燥させて「干飯(ほしいい)」にし、それを水や湯につけて膨らませて食べていました。干飯は現在の「アルファ化米」と同じようなものです。何年も保存がきき、軽いので携帯に便利です。旅人(たびびと)は干飯を袋に入れて持ち歩き、宿につくと宿屋から湯をもらうか、もらった薪で湯を沸かし、干飯を膨らませて食事をしました。翌朝、宿には湯沸かしに使った薪代だけを払ったことから、「木賃宿(きちんやど)」という言葉が生まれました。
ところで、少し乱暴な言い方としてご飯のことを「めし」と呼ぶことがあります。しかし「めし」という言葉は、元々は乱暴な言葉ではありませんでした。明治以前の日本では、米を常食にしていたのは身分の高い人や裕福な人だけで、雑穀やイモを常食としていた一般の庶民にとっては、米はぜいたく品でした。そこで米を「めしあがりもの」とよび、そこから「めし」という言葉が生まれたと言われています。
酷暑が続きます。皆様、くれぐれもご自愛ください。 (T.Y.)