2024年09月04日

会館だより「かけはし」


地震に備えましょう

 1923年9月1日(土)午前11時58分、関東地方を大きな地震が襲いました。ちょうど昼食前だったので、多くの家庭で火を使っていました。約10万5千人の死者のうち、焼死者が90パーセントを占めたのは、そのような理由があったからです。もしも大火災がなかったら、犠牲者は大幅に減っていたと思われます。

 関東大震災は東京の大火災による被害があまりに大きかったので、東京の地震だと思われがちですが、実際には神奈川県から千葉県南部にかけての地方も、大きな地震に襲われました。その被害の範囲は、1995年の「阪神・淡路大震災」の10倍以上に達するといわれています。

安政江戸地震.png 過去に関東地方に大きな被害をもたらした地震としては、

1703年12月の「元禄地震(げんろくじしん)」、そのわずか4年後の

1707年10月の「宝永地震(ほうえいじしん)」、

1854年12月の「安政東海地震(あんせいとうかいじしん)」、

 その翌日の「安政南海地震(あんせいなんかいじしん)」、

1855年11月の「安政江戸地震(あんせいえどじしん)」などをあげることができます。

 元禄地震では特に小田原の被害が大きく、小田原城下は壊滅、伊豆半島や房総半島には、高さ10m前後の津波が襲来し、死者も1万人以上にのぼったとされています。すぐそのあとに起こった宝永地震は記録に残る日本最大級の地震で、死者も2万人以上、地震の49日後には富士山に「宝永大噴火」が起こっています。噴火は2週間も続き、大量に噴出した火山灰のため江戸の町は昼間でも暗くなり、農作物にも大きな被害をもたらしました。

 それからおよそ150年後、立て続けに起こった「安政東海地震」「安政南海地震」「安政江戸地震」でも大きな被害を受けました。刈り取ったばかりの大切な稲むらを燃やして村人に津波の接近を伝えたという物語「稲むらの火」は、安政南海地震の際の出来事がモデルになっています。

 過去の被災を我が身のこととして今後の生活に活かす=「備え」をしましょう。(T.Y.)

posted by 豊島修練会 at 09:13| 会館だより「かけはし」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする