東久留米市と東久留米駅
東久留米市の人口は約11万6千人、女性の方がわずかに多い程度ですが、2000年の頃と比べると、少しですが増えています。しかし、出生数は年々減少していて、2000年には1,000人近く産まれていたのに、2023年には620人にまで減ってしまいました。この傾向がこれからも続くと、将来人口の減少が心配です。
東久留米市の前身である久留米町が誕生したのは約70年前です。その後、東久留米団地や滝山団地、ひばりが丘団地などの大型団地が次々に建設され、2万人足らずだった人口が一挙に8万人近くまで膨れ上がりました。その結果、日本一大きい町になりました。
町から市になるためには、人口が5万人以上であることなど、さまざまな条件があります。それらの条件をクリアして、1970年東京都の22番目の市として、東久留米市が誕生しました。
市になることが決まったとき、市の名前をどうするかが議論になりました。「久留米市」という名前は、すでに福岡県にあったので、同じ名前は使えません。「武蔵久留米市」など複数の名前があがったそうですが、結局、すでに住民に親しまれていた西武池袋線の「東久留米駅」という駅名を市の名前にすることになりました。
東久留米駅が誕生したのは、今から100年以上前の1915年です。はじめは、池袋〜所沢間の駅は、東長崎、練馬、石神井(石神井公園)、保谷、東久留米の5駅だけしかなく、大泉学園やひばりが丘、清瀬、秋津などはありませんでした。東久留米駅も、はじめはこの場所に造る計画はありませんでしたが、神藤庄太郎という人が、自分の土地を1万uも寄付するなど、5年間休みなく陳情を続け、ついに駅の誘致に成功しました。その功績をたたえて、東久留米駅北口近くの武蔵野稲荷神社には、神藤氏の銅像が建っています。
開業当時は一日平均1,000人程度しか利用客がなく、主に貨物輸送に重点がおかれていました。今では一日5万人が利用する大きな駅となっています。 (T.Y.)