2024年10月30日

会館だより「かけはし」


柿を食べて、健康に過ごしましょう

柿.jpg 柿は、秋を代表する果実で、ビタミンⅭはレモンよりたくさん含まれています。果物屋で売られている普通の大きさの柿1個で、大人が一日に必要なビタミンⅭ100rは、十分にとれてしまいます。

 ビタミンⅭがどれくらい含まれているかというCMでは、「レモン〇個分」という言葉をよく使います。レモン1個には100rのビタミンⅭが含まれていますが、これは丸ごと食べた場合の数字です。果肉や皮をかじることより絞った果汁だけを使うことが多いので、農林水産省推定ガイドラインでは、レモン1個分のビタミンⅭは20rと換算することになっています。柿のビタミンⅭは、レモンの数倍あるのです。

 ところで、ビタミンⅭは酸っぱいというイメージがあります。しかし柿の実や野菜のブロッコリーを酸っぱいと感じることはありません。レモンの酸っぱさはクエン酸によるもので、ビタミンⅭの酸っぱさではないのです。純粋のビタミンCをたくさんなめると、少しは酸っぱさを感じますが、柿に含まれる程度では味覚に影響する酸っぱさにはなりません。「ビタミンⅭ」=「酸っぱい」となったのは、昔の大航海時代、航海中のビタミンⅭ不足から起きる壊血病を防ぐには、レモンやオレンジなどを食べればいいということを、人々が経験的に知っていたからです。色も純粋なビタミンⅭは白色ですが、ビタミンCをうたった商品には黄色い色をしたものが多いです。テレビやチラシ広告で、ビタミンⅭの色を黄色と表現するのは、それがレモンなどの黄色い果物に多く含まれているからです。

 また、ほとんどの動物はビタミンⅭを体内で合成できるので、外から補給する必要はありません。人間やサル、モルモットなど限られた動物だけがビタミンⅭを必要としているのです。

 柿には、ビタミンⅭだけでなく、健康に有益な成分がいろいろ含まれていて、風邪、脳卒中、高血圧、癌、糖尿病などの病気に対して予防効果があります。柿を食べて、冬を健康に過ごしましょう。 (T.Y.)

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2024年10月03日

会館だより「かけはし」


2℃以上の温度上昇を防ぎましょう

 今年は暑い日が続きました。東京の熱帯夜(夜間の最低気温25度以上の日)の日数は57日、真夏日(最高気温が25℃以上の日)も連続64日で計87日、さらに猛暑日(最高気温が35℃以上の日)も22日を数え、いずれも過去最多で、暑さの記録を更新しました。

 東京は湿度も高く、汗が乾きにくく、体温も下がりにくく、体に熱がこもり、余計に不快に感じる夏となりました。

 記録に残る日本で最も気温の高かった時代は、平安時代から鎌倉時代にかけてです。文献に残る記述から、お花見の時期、年輪の広さ、地層の状況等から、そのことが分かっています。

 当時は世界的にみても気温が高かった時代ですが、兼好法師の徒然草には、冬の寒さはいろいろな方法で乗り切ることができるから、家の造りは夏の暑さ対策を十分にするようにということが書かれています。床を高くしたり壁などを少なくしたりして風通しをよくし、家の周りに池などを配置した寝殿造りは、耐え難い暑さを和らげるための工夫だと考えられています。

 アスファルトの道路やコンクリートの建造物、冷房などの人間活動による熱の影響を受ける現代は、当時よりもさらに気温の上昇が激しく、私たちはこれまで経験したことのない高温の時代に生きていると言えるでしょう。

気温上昇.png 今年、東京は、平年より平均気温が2℃高くなりました。東京以外にも平年より2℃高くなった地方は、かなりあります。わずか2℃の上昇では大したことがないと考えがちですが、このような状態が続くと、人間生活に大きな影響がでてきます。

 青森県の三内丸山遺跡は、5000年前、現在より2℃暖かくて主食となる栗も多く実り、獲物となる動物も多く生息していて、縄文人たちは、豊かな暮らしを送っていました。しかし、4200年前に突然気温が2℃低くなり、栗などの食料生産が激減、動物の数も減少して、縄文時代の衰退につながりました。

 現代に生きる私たちは、例えば「エアコンの設定温度を適切に保つ」「アクセルの踏み加減で速度調節をする」「野菜の加熱を電子レンジにする」ことの先に生み出すエネルギーの抑制があることを想像し、これ以上気温が上昇しないよう努力をし続け、生活していく必要があります。(T.Y.)

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2024年09月04日

会館だより「かけはし」


地震に備えましょう

 1923年9月1日(土)午前11時58分、関東地方を大きな地震が襲いました。ちょうど昼食前だったので、多くの家庭で火を使っていました。約10万5千人の死者のうち、焼死者が90パーセントを占めたのは、そのような理由があったからです。もしも大火災がなかったら、犠牲者は大幅に減っていたと思われます。

 関東大震災は東京の大火災による被害があまりに大きかったので、東京の地震だと思われがちですが、実際には神奈川県から千葉県南部にかけての地方も、大きな地震に襲われました。その被害の範囲は、1995年の「阪神・淡路大震災」の10倍以上に達するといわれています。

安政江戸地震.png 過去に関東地方に大きな被害をもたらした地震としては、

1703年12月の「元禄地震(げんろくじしん)」、そのわずか4年後の

1707年10月の「宝永地震(ほうえいじしん)」、

1854年12月の「安政東海地震(あんせいとうかいじしん)」、

 その翌日の「安政南海地震(あんせいなんかいじしん)」、

1855年11月の「安政江戸地震(あんせいえどじしん)」などをあげることができます。

 元禄地震では特に小田原の被害が大きく、小田原城下は壊滅、伊豆半島や房総半島には、高さ10m前後の津波が襲来し、死者も1万人以上にのぼったとされています。すぐそのあとに起こった宝永地震は記録に残る日本最大級の地震で、死者も2万人以上、地震の49日後には富士山に「宝永大噴火」が起こっています。噴火は2週間も続き、大量に噴出した火山灰のため江戸の町は昼間でも暗くなり、農作物にも大きな被害をもたらしました。

 それからおよそ150年後、立て続けに起こった「安政東海地震」「安政南海地震」「安政江戸地震」でも大きな被害を受けました。刈り取ったばかりの大切な稲むらを燃やして村人に津波の接近を伝えたという物語「稲むらの火」は、安政南海地震の際の出来事がモデルになっています。

 過去の被災を我が身のこととして今後の生活に活かす=「備え」をしましょう。(T.Y.)

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