2017年03月02日

至楽荘

     至楽荘を足場に春の勝浦を楽しんでみませんか?

T ウォーキングコース 
 A.海景色コース(1時間40分)太平洋の荒波に浸食されたリアス式海岸の絶景
  @勝浦海中公園ー(15分)ーA尾名浦「めがね岩」ー(15分)ーB海の博物館ー30分ー
  C鵜原理想郷
  
 B.大自然満喫コース(1時間30分)3月上旬から河津桜がきれい
   @八幡岬公園ー(15分)ーA勝浦灯台ー(15分)ーB官軍塚

  C.文化遺産コース(1時間)
   @ひもの横丁ー(3分)ーA遠見岬神社ー(1分)ーB本行寺ー(1分)ーC松の家旅館ー
  (2分)ーD高照寺

U レンタサイクルコース
 A.海絶景コース(2時間30分)
   @400年以上続く朝市ー(2分)ーA遠見岬神社ー(12分)ーB八幡岬公園ー(10
        分)ーC勝浦灯台ー(8分)ーD官軍塚ー(8分)ーE勝浦市役所ー(8分)ーF高照
    寺

 B.鵜原コース(3時間)
   @勝浦海中展望塔&海の博物館ー(5分)ーA尾名浦ー(12分)ーB春日神社ー(1
   分)ーC酒造「東灘」
   
    

  

posted by 豊島修練会 at 16:29| 至楽荘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

至楽荘

 至楽荘から巡る南房総の郷土文化探索スポット

@勝浦朝市(通年)
 四百年以上の歴史を重ねている日本三大朝市の一つです。1591年領主、植村土佐守泰忠が産業振興のために市を開いたのが始まりです。
 水曜日を除く毎日、午前6時から11時ころまで、およそ70の露店が並び、勝浦漁港などで水揚げされた魚介類や地元農家で採れた野菜や果物などが並びます。

A勝浦カツオまつり(6月)
 「カツオまつり」は毎年6月、勝浦漁港で開かれます。勝浦漁港は、近海カツオ一本釣り漁船の水揚げ港として、春から夏にかけて県外の大型カツオ釣り漁船のほとんどが入港します。初カツオの水揚高は全国一です。
  まつりは、水揚げされたばかりの新鮮なカツオを買い求める観光客で大賑わいです。カツオ料理の販売、魚介類の体験入札など、イベントが盛りだくさんです。

Bかつうらビッグひな祭り(2月下旬〜)
 このひな祭りは、徳島県勝浦町で既に行われていた「ビックひな祭り」を東西で開こうと企画されたものです。古き良き「ひな祭り」の伝統を見直し、後の世代に語り継いでもらおうとの願いが込められています。勝浦市遠見岬神社の60段の石段におよそ1200体のひな人形が飾られます。

C鵜原の大名行列(7月第4土曜日)
 鵜原八坂神社の例祭に行われる「お浜降り(御輿を海にかつぎ入れること)」の前後に、八坂神社から商店街を通って、鵜原海岸まで大名行列が行われます。行列の式具は、大多喜城主から拝領したと伝えられています。この大名行列は、千葉県記録選択無形民俗文化財に指定されています。

D吉保(きっぽ)八幡神社流鏑馬(9月第4日曜日)
 鎌倉時代中期から、伝統行事として神社の例祭に行われてきました。3つの的をめがけて矢を放ち、それを3回繰り返し、その当たり外れによって、来年の稲作の豊凶を占いました。千葉県の無形民俗文化財に指定されています。

E長狭(ながさ)文化の里(通年)
 千葉県は、江戸時代からおいしいお米の産地として知られ、中でも長狭地区は良質な土と水に恵まれ、おいしいお米が育つ最適な環境にあります。また、のどかな農村原風景が残されており、愛宕山の裾野には、大山千枚田と呼ばれる棚田広がっていて、美しい景観を眺めることができます。

posted by 豊島修練会 at 10:54| 至楽荘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月28日

至楽荘

 至楽荘から巡る歴史と伝説探検コース
                                                       
@八幡岬公園(勝浦市)至楽荘から車で12分
 かつて勝浦城(築城時期は不明)が置かれた場所。勝浦正木氏の初代、正木時忠が入城。勝浦城の落城の際、三代城主頼忠の娘であるお万の方が、八幡岬の断崖絶壁に白布を垂らして海に下り、小舟に乗って逃れたという話は、「お万の布ざらし」として今に伝えられている。その後、お万の方は、徳川家康の側室となり、紀伊徳川家の祖、頼宣と、水戸徳川家の祖、頼房を産んだ。お万の像が建てられている。

Aおせんころがし(天津小湊町)〜9分
 勝浦市の南西にある断層崖。興津と鴨川市東部の間に続く海岸で、高さ約100m,長さ4km。昔、孝女おせんが嵐の夜に母の薬を求めて出かけたところ、誤って小道を踏み外し、海に転げて落ちて死んだという言い伝えがある。また、この地方の豪族で、強欲非道な父を改心させるために、娘おせんが断崖から身を投げたという言い伝えもある。
B大多喜城(大多喜町)〜40分

 1532年~1555年に安房の里見氏の重臣であった正木氏が入り、上総正木宗家の居城として発展した。1590年、北条氏が豊臣秀吉によって滅ぼされると、江戸城に徳川家康が入り、大多喜城を家臣の本多忠勝に与えて、安房の里見氏の勢力を押さえようとした。

C仁右衛門島(鴨川市)〜40分
 源頼朝は、石橋山の戦いで敗れ、逃れて安房に上陸した。再起を図り、上総介広常の居所に向かおうとするところ、長狭六郎常伴に襲われた。しかし、島の住人平野仁右衛門に救われた。頼朝は褒美として周辺の漁業権を与えた。平野氏は、代々仁右衛門を名乗った。

D誕生寺(鴨川市)〜14分
 1222年、日蓮がこの地で誕生した。幼名を善日麿といい、12歳までこの地で暮らした。弟子の日家上人が日蓮生家跡に寺を建てた。その後、大地震や津波で移転再建され、今の小湊誕生寺となった。

E鯛の浦(鴨川市)〜14分
 日蓮が誕生した際、この場所には鯛が飛び跳ね、蓮の花が咲き乱れたという。今でも、真鯛が群泳することで知られ、国の特別天然記念物に指定されている。

F小野次郎右衛門忠明生誕の地公園(南房総市)〜40分
 忠明は、小野派一刀流を開いた江戸時代の剣術士。柳生新陰流とともに江戸幕府に採用され、隆盛を誇った。流祖、忠明は安房国朝夷郡御子神村の生まれで、少年時代をこの地で過ごした。たまたま来遊した一刀流開祖、伊藤一刀斎景久に入門し、一刀流の正統を継承。その後、徳川家に仕官し、二代将軍秀忠の指南役として、名声を極めた。


























posted by 豊島修練会 at 11:21| 至楽荘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする