至楽荘から巡る歴史と伝説探検コース
@八幡岬公園(勝浦市)至楽荘から車で12分
かつて勝浦城(築城時期は不明)が置かれた場所。勝浦正木氏の初代、正木時忠が入城。勝浦城の落城の際、三代城主頼忠の娘であるお万の方が、八幡岬の断崖絶壁に白布を垂らして海に下り、小舟に乗って逃れたという話は、「お万の布ざらし」として今に伝えられている。その後、お万の方は、徳川家康の側室となり、紀伊徳川家の祖、頼宣と、水戸徳川家の祖、頼房を産んだ。お万の像が建てられている。
Aおせんころがし(天津小湊町)〜9分
勝浦市の南西にある断層崖。興津と鴨川市東部の間に続く海岸で、高さ約100m,長さ4km。昔、孝女おせんが嵐の夜に母の薬を求めて出かけたところ、誤って小道を踏み外し、海に転げて落ちて死んだという言い伝えがある。また、この地方の豪族で、強欲非道な父を改心させるために、娘おせんが断崖から身を投げたという言い伝えもある。
B大多喜城(大多喜町)〜40分
1532年~1555年に安房の里見氏の重臣であった正木氏が入り、上総正木宗家の居城として発展した。1590年、北条氏が豊臣秀吉によって滅ぼされると、江戸城に徳川家康が入り、大多喜城を家臣の本多忠勝に与えて、安房の里見氏の勢力を押さえようとした。
C仁右衛門島(鴨川市)〜40分
源頼朝は、石橋山の戦いで敗れ、逃れて安房に上陸した。再起を図り、上総介広常の居所に向かおうとするところ、長狭六郎常伴に襲われた。しかし、島の住人平野仁右衛門に救われた。頼朝は褒美として周辺の漁業権を与えた。平野氏は、代々仁右衛門を名乗った。
D誕生寺(鴨川市)〜14分
1222年、日蓮がこの地で誕生した。幼名を善日麿といい、12歳までこの地で暮らした。弟子の日家上人が日蓮生家跡に寺を建てた。その後、大地震や津波で移転再建され、今の小湊誕生寺となった。
E鯛の浦(鴨川市)〜14分
日蓮が誕生した際、この場所には鯛が飛び跳ね、蓮の花が咲き乱れたという。今でも、真鯛が群泳することで知られ、国の特別天然記念物に指定されている。
F小野次郎右衛門忠明生誕の地公園(南房総市)〜40分
忠明は、小野派一刀流を開いた江戸時代の剣術士。柳生新陰流とともに江戸幕府に採用され、隆盛を誇った。流祖、忠明は安房国朝夷郡御子神村の生まれで、少年時代をこの地で過ごした。たまたま来遊した一刀流開祖、伊藤一刀斎景久に入門し、一刀流の正統を継承。その後、徳川家に仕官し、二代将軍秀忠の指南役として、名声を極めた。
posted by 豊島修練会 at 11:21|
至楽荘
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