2025年04月27日

会館だより「かけはし」

かけはし R0705月号@.pdfかけはし R0705月号A.pdf


イチゴは今が食べ時

 「イチゴ」は1000年イチゴ果実.jpg以上前から知られていて、当時は「イチビコ」と呼ばれていました。それがいつ「イチゴ」になったか、はっきりしませんが、今では野生の「キイチゴ」とか「クサイチゴ」がそれに当たります。

 現在、私たちが食べているイチゴは、江戸時代末期の1830年頃、オランダ船によって持ち込まれたもので、それまで日本にあったイチゴと区別するため、「オランダイチゴ」と呼ばれました。明治時代になると、外国から様々なイチゴが入ってきて、1900年頃からは、本格的に栽培が始まりました。

イチゴ粒々.jpg 私たちが普段店先で見かけるのは「あまおう」とか「とちおとめ」など数種類ですが、今では改良が進んでいて、その品種は300もあり、年々増え続けています。

 品種改良や栽培方法の工夫のおかげで、イチゴは一年中食べることができるので、どの季節のものなのか、はっきりしなくなっていますが、本来は4月〜6月頃の果物です。

 カキやリンゴは、実の中に種が入っていますが、イチゴは実の表面に種が散らばっています。(正確に言うと、小さな一粒一粒は種ではなく実で、それぞれの実の中に一粒の種が入っています。)ですからひとつのイチゴには、200〜300の種がついている計算になります。果実として食べている部分は「花托(かたく)」という部分で、他の植物に当てはめると茎の部分になります。つまりイチゴは茎が肥大化したものなのです。

 イチゴ断面.jpgイチゴ花のあと.jpgイチゴ花.jpgイチゴは種から育てることも出来ますが、収穫までに2年くらいかかり、世話も大変です。ですから店で売っている苗を育てた方が簡単です。イチゴは多年草なので、その苗は毎年実をつけてくれます。また、先の方に新しい芽をつけた「ランナー」と呼ばれるツルのようなものが出てくるので、それを別なところに植えれば、新しい苗を増やしていくことができます。(T.Y.)


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2025年04月02日

会館だより「かけはし」


東久留米市と東久留米駅

 東久留米市の人口は約11万6千人、女性の方がわずかに多い程度ですが、2000年の頃と比べると、少しですが増えています。しかし、出生数は年々減少していて、2000年には1,000人近く産まれていたのに、2023年には620人にまで減ってしまいました。この傾向がこれからも続くと、将来人口の減少が心配です。

 東久留米市の前身である久留米町が誕生したのは約70年前です。その後、東久留米団地や滝山団地、ひばりが丘団地などの大型団地が次々に建設され、2万人足らずだった人口が一挙に8万人近くまで膨れ上がりました。その結果、日本一大きい町になりました。

 町から市になるためには、人口が5万人以上であることなど、さまざまな条件があります。それらの条件をクリアして、1970年東京都の22番目の市として、東久留米市が誕生しました。

武蔵野稲荷神社.jpg 市になることが決まったとき、市の名前をどうするかが議論になりました。「久留米市」という名前は、すでに福岡県にあったので、同じ名前は使えません。「武蔵久留米市」など複数の名前があがったそうですが、結局、すでに住民に親しまれていた西武池袋線の「東久留米駅」という駅名を市の名前にすることになりました。

蒸気機関車.jpg 東久留米駅が誕生したのは、今から100年以上前の1915年です。はじめは、池袋〜所沢間の駅は、東長崎、練馬、石神井(石神井公園)、保谷、東久留米の5駅だけしかなく、大泉学園やひばりが丘、清瀬、秋津などはありませんでした。東久留米駅も、はじめはこの場所に造る計画はありませんでしたが、神藤庄太郎という人が、自分の土地を1万uも寄付するなど、5年間休みなく陳情を続け、ついに駅の誘致に成功しました。その功績をたたえて、東久留米駅北口近くの武蔵野稲荷神社には、神藤氏の銅像が建っています。

神藤庄太郎.jpg 開業当時は一日平均1,000人程度しか利用客がなく、主に貨物輸送に重点がおかれていました。今では一日5万人が利用する大きな駅となっています。  (T.Y.)

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2025年03月05日

会館だより「かけはし」


地球温暖化 〜「温暖化の影響は夏だけじゃない」ということ〜

 最近、地球温暖化が心配されています。夏になると今まで見られなった南の地方のチョウやセミが見られるようになりました。

 気象庁から出された「2020年日本の気候変動」という資料によると、このまま有効な手立てを打たずにいると、100年後には平均気温が4℃上昇するそうです。4℃くらいならたいしたことはないと考えがちですが、それは大きな間違いです。まず平均気温が上昇すると、猛暑日といった極端に暑い日が増加します。今でも暑い日が増えているのに、これ以上増えたらたまりません。また気温が高いほど大気が含む水蒸気の量が増加するため、大雨や短時間強雨の頻度や強度が高まります。1時間の降水量が30mm〜50mmの場合は、「激しい雨がバケツをひっくり返したように降る」と表現され、傘をさしていても濡れて、道路が川のようになります。50mm〜80mmの場合は「激しい雨が滝のように降る」と表現され、傘は全く役に立たず、水しぶきであたり一面が白っぽくなり、視界が悪くなります。東京あたりでは、梅雨というと、以前は長い期間「シトシト降る」というイメージがありましたが、最近では、期間が短くなり、ザーザー降る日が見られるようになりました。東京都の河川改修の計画は、1時間に50mmの雨に耐えるように設計されているそうですが、私たち住民も、大雨に備えるような暮らし方を考えていく必要がありそうです。

渋谷駅前.jpg ところで、地球温暖化がこのまま進行すると、もともと寒かった地方では雪の材料となる大気中の水蒸気の量が増えるため、大雪のリスクが増えると考えられています。今年は各地から豪雪の様子が報道されていますが、青森県酸ヶ湯では、5mを超す積雪が記録されました。

小学校.jpg 東京の大雪は1969年3月12日の33pが史上1位の記録ですが、2014年2月8日と2月14日は、1週間の間にそれぞれ27pの大雪となり、都知事選にも大きな影響が出ました。最近では、2018年1月22日の23cmが最大の記録です。東京は滅多に大雪にならないので油断しがちですが、地球温暖化の影響で、大雪となる日が増える可能性が指摘されています。 (T.Y.)

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2025年01月30日

会館だより「かけはし」


クマに気をつけましょう 〜共存するためのヒト側の心構え〜

 最近、クマに襲われたという報道が目に付くようになりました。山菜やキノコ採り、農業・森林内作業などで、高齢者の単独行動中の被害が多くを占めています。

 クマは普通、待ち伏せして人を襲うことはありません。あらかじめ、ラジオや鈴などを鳴らし、ここに人がいるということを知らせておけば襲ってきません。襲ってくるのは、たまたま出会ったクマがびっくりしたときです。そんなとき、子グマを連れた母グマは、子グマを守ろうとして特に攻撃的になるので気を付けなくてはいけません。

 日本には北海道にヒグマ、青森県から南にはツキノワグマが暮らしています。クマは本来臆病な動物で人間を恐れているので、先に人間の存在に気づけば、たいていクマのほうから逃げてしまいます。しかし、凶暴な性質を持つようになったクマの例もあり、油断は禁物です。

クマ.png クマは雑食性で、食べ物の7〜8割はドングリなど木の実やタケノコなどです。動物性の食べ物も、アリやザリガニ、ハチやハチミツなどです。魚を取って食べるということはありますが、普通は、それ以上大きな動物を襲って食べるということはありません。ところが、何かのきっかけで肉の味を覚えると、ウシやシカを襲って食べるようになることが知られています。また捨てられた生ごみなどを食べてその味を覚えると、人里に下りてくるようになります。

 クマの被害が多く報告されているのは、秋田県や岩手県など東北地方です。逆に、島根県・広島県・山口県では絶滅が心配されていて、国により狩猟が禁止されています。

 沖縄県にはクマはいません。九州では1957年を最後にクマが見つかったという記録がなく、2012年に環境省から絶滅宣言が出されました。四国でも、僅か20頭くらいが一部の山の中で暮らしていて、近い将来絶滅するのではないかといわれています。

 ところで、本州で千葉県だけは「クマなし県」と呼ばれていて、クマがいません。どうして千葉県だけクマがいないのか、はっきりした理由は分かっていませんが、房総半島の山は孤立しているので、森林を伝って移動することができないからではないかと考えられています。(T.Y.)

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2025年01月08日

会館だより「かけはし」


東京の気温と温暖化

 東京は12月24日のクリスマスイブに、気温が1.8度までさがりました。

 年末に、とても寒い日が続いたので、暑かった夏の日が、懐かしく感じられるかもしれません。しかし、冷静に振り返り、東京の気温を箇条書きにしてみると、その暑さが、いかに異常だったかがわかります。

気象記録.png ・昼間の最高気温も夜間の最低気温も、平年より高い日が3か月続いた。

 ・一番気温が高かったのは7月29日で、37.3度を記録した。

 ・秋だというのに、10月4日には、最高気温が30.4度を記録した。

 ・3月31日には、早くも夏日(最高気温が25度以上)を記録した。

 ・猛暑日(最高気温が35度以上))が20日以上あった。

 ・真夏日(最高気温が30度以上)が80日以上あった。

 ・熱帯夜(最低気温25度以上)が60日以上あった。

 昼間の暑さはなんとか我慢できても、夜間の暑さはそうはいきません。冷房を効かせすぎると風邪をひくし、暑いのを我慢すれば寝不足になってしまいます。

 今から50年前、熱帯夜の日数は、14日くらいしかありませんでした。日中も、30度を超えると暑いと感じました。

 ところで、温暖化の影響には多くのデメリットがありますが、わずかながらメリットもあるといわれています。

 ・寒さによる死者が減少する。

 ・気温の上昇で、農林産物の生育が促進される。

 ・ベーリング海峡の氷が解けて、新たな船の通商路が開かれる。

 ・二酸化炭素の濃度の上昇によって光合成が盛んになり、作物の収量が増える。

 ・栽培適地の変化により、これまでその地域では育たなかった作物が栽培可能となる。

 しかし、温暖化の影響は、単に気温の上昇や二酸化炭素の増加だけではありません。海面の上昇や熱波、大雨、洪水などさまざまな気候変動を引き起こします。地球上の動植物の生態系に大きな影響を及ぼすので、少しでも温暖化食い止める努力をしていく必要があります。(T.Y.)

posted by 豊島修練会 at 10:24| 会館だより「かけはし」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする