2022年03月03日

会館だより「かけはし」


絵を描いて表現することの大切さ

 2月18日〜19日の2日間、会館のギャラリーを使って、豊島なでしこ幼稚園の作品展が開催されました。幼児教育で最も大切なことは、豊かな心を育むことだといわれていますが、大きな画面いっぱいに伸び伸びと描かれた作品に接すると、いつもながら、観ているこちらの気持ちまでもが豊かになります。

 大きな作品に取り組む活動は、全身を使って描く充実感と完成した時の達成感を味わうことができます。と同時に、集中力を養うこともできます。大きなものや小さなもの、いろいろな種類のものを配置することによって、バランス感覚や構成力を養うことができるともいわれています。

葉っぱを食べたのは.png

 「葉っぱを食べたのは」を観ていると、3匹の幼虫の、葉を盛んに食べる音が聞こえてくるようでした。子どもたちは、5月にカイコが葉を食べる様子を実際に観察しています。一人一人のこの時の思いが、それぞれの絵ににじみ出ていました。また、イメージしたものを平面の世界で表現することを通すと、感性や創造力を育むことができます。「深海探検」の作品は、そのよい例だと感じました。(もし、この絵にあるような生物と出くわしたら私はこの女の子ような笑顔にはなれそうにありませんが……。)

 深海探検.png子どもたちの作品には、いろいろな色が使われています。一方古代の日本では、「赤、青、黒、白」の4色しか区別していなかったと考えられています。赤紫・赤・橙・黄を「赤」、青・緑を「青」と呼んでいました。緑色の信号を「青信号」、若々しい木の葉を「青葉(あおば)」、野菜や果物のことを「青果(せいか)」というのも、その名残りといえます。「青年」の「青」はまだ熟していない果実から連想された表現で、「青二才(あおにさい)」「青春」なども同じです。真っ黒の髪の毛を「緑(みどり)の黒髪」といったり、新生児のことを「緑児(みどりご)」といったりする場合の「緑」は色ではなく、若々しいとか、つやつやしているという意味だそうです。

 いろいろな色を用いて絵に表現することから、例えば「色」に関連した言葉の意味について関心を深めていくなど、これからも創作活動を楽しみながら、様々に興味を広げていってほしいものです。 (T.Y.)

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2022年02月03日

会館だより「かけはし」

新 暦 と 旧 暦 〜 織り姫と彦星は、年に二度逢うチャンスがある!? 〜

 例年ならば、2月の初めになると中国などから多くの観光客が日本にやってきます。中国ではこの時期を「春節」と呼んで国民の休日とし、1月1日よりも盛大にお祝いをします。北京冬季オリンピックとともに、春節の話題を見聞きするようになりました。同じような国は、韓国やベトナムなど10か国もあります。

 さて、日本に目を向けてみます。現在使われている歴は新暦と呼ばれるもので、太陽の動きをもとにしてつくったものです。1年を365日としていますが、地球が太陽の周りを1周する日数は、約365.25日なので、ぴったり365日では、1年で0.25日ずれてしまいます。そこで4年に1回うるう年をつくり、2月を1日増やしてこのずれを直しています。

 一方で、明治時代の初めまで使われていた歴は、旧暦と呼ばれるもので、月の満ち欠けをもとにしてつくったものです。月の満ち欠けの周期は29.5日なので、12倍すると1年は354日にしかなりません。つまり1年を12ヶ月にすると、年間で約11日ずれてしまいます。そこで何年かに1回、1年を13か月にしました。

 まだ旧暦が使われていた明治3年には、10月のあとにもう1回「うるう10月」を設け、1年を13か月にしてずれを直しました。世界の人々と交流を深めようという当時の時勢に、これではあまりにも不便だというので、明治政府は「旧暦の明治5年12月3日を、新暦の明治6年1月1日にする」との御触(おふれ)を出しました。「さぁ、これから年末」という日が突然正月になったので、当時の人々はとても当惑したそうです。

 今でも新暦の2月に、「旧正月」という名目で正月のお祝いをする地方が残っています。新暦では正月の気分が出ないということでしょうか。ひな祭りは「桃の節句」とも呼ばれていますが、桃の花は3月の初めにはまだ咲いていません。旧暦の3月3日は、桃の花咲く今の4月上旬の頃です。7月7日の七夕祭りは梅雨の真っ最中で、星もよく見えません。有名な仙台の七夕祭りは8月に行われています。その地で根付いた行事は、これからも新暦や旧歴とともに、季節の移ろいの中で行われていくのだろうと思われます。節分.png

 さて、今年の節分は2月3日です。その由来やこの日である理由など、団欒のひと時の話題にしてみてはいかがでしょうか。(T..

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2022年01月14日

会館だより「かけはし」


SDG’s(エスディージーズ) を自分の生活に引き寄せる意味

 SDG’sとは、「Sustainable(サスティナブル) Development(デベロップメント) Goals(ゴールズ)」―持続可能な開発目標―の略称です。これは、2015年に国際連合が定めた2030年までの15年間で達成しようとする17の目標のことで、193カ国が参加しています。(註:サスティナブル…持続可能であること デベロップメント…開発 ゴール…最終的な目標点)

 その中のいくつかを取り上げてみます。

・1番目の「貧困をなくそう」―2020年には、新たに11,900万〜12,400万人が極度の貧困へと追いやられた―
・2番目の「飢餓をゼロに」―2020年には、世界全体で新たに7,000万〜11,600万人がパンデミックの影響により飢餓を経験した可能性あり―
・6番目の「安全な水とトイレを世界中に」―2020年には、数十億人が依然として安全な飲料水と衛生を利用できていない―

 これらを残りの9年で達成するには、これまで以上の努力が要るように思われます。更に、

・10番目の「人や国の不平等をなくそう」
・16番目の「平和と公正を全ての人に」

の目標は、世界各地で起きている難民問題、戦争や紛争、日本に於いても所得格差の拡大等々を見聞きするたびに、かえって後退しているのではないかと心が痛みます。これらの多くは、国レベルで取り組まなければ実現できない目標です。だからこそ「国際連合」という機関で定め、全世界の人類がこぞって取り組む意味があるのかもしれません。

 一方、一人一人が努力すると、近い将来達成できるかもしれない目標もあります。例えば、

・12番目の「つくる責任 つかう責任」SDGs15.pngSDGs14.pngSDGs12.png
・14番目の「海の豊かさを守ろう」
・15番目の「陸の豊かさも守ろう」
です。身の回りに目を向けると、店のレジでは、エコバッグを利用したり、包装を遠慮したりする方々を多く見かけるようになりました。各ご家庭で日常化した丁寧なごみの分別も、これらの目標の達成に、確実に繋がっているのだと確信します。
 見方を変えると、老いも若きも全てができうる心掛けです。親のその姿勢に、子は納得するでしょう。子供の所作に大人が生き方を改めることもあるでしょう。「何をする或いはしない」ことよりむしろ、「何のためにするのか・なぜするのか或いはしないのか」をイメージしながら取り組むことが大事なことと思います。                   (T.Y.)
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2021年12月02日

会館だより「かけはし」

伝染病と公立昭和病院  過去にはこんなことも…

 幕末から明治期にかけて日本で大流行した病気にコレラがあります。強い下痢と嘔吐に襲われ、感染後間もなくして命を落とす者が多かったことから「三日ころり」とも呼ばれました。幕末は、多くの死者は出たものの、箱根をはじめとする各地の関所の働きにより、旅人の動きを抑制したため大きな感染爆発は起こりませんでした。ところが、明治時代に入って関所が廃止され、人々の往来が盛んになるとコレラは全国に広がり、人々を恐怖に陥れました。

 日清戦争時、日本へ帰還する兵士232,346人を3ヶ月で検疫し、細菌持ち込みを水際で防いだのが、後に関東大震災後の復興に力を尽くした後藤新平です。世界でも前例のない大規模検疫事業の責任者を勤めた後藤新平は、大規模な検疫所をわずか2カ月で建設し、コレラ感染者369人を隔離して感染拡大を阻止しました。

 当時は効果的な治療法がなかったので、発病した病人を隔離することしか拡大を防ぐ方法がありませんでした。嘔吐したものに触れると感染することは知られており、飲み水の汚染が感染の拡大につながることも分かっていました。このあたりの村人の多くは、玉川上水からの分水を飲み水として使っていたので、上流に汚れた水が入り込んだり、上流で伝染病が発生したりすると、その影響をまともに受けてしまいます。この頃はきちんとした下水がなかったので、年に1〜2回川さらいをしましたが、あまり効果はなかったようです。

 昭和2(1927)年、警視庁衛生部は田無警察署と北多摩地区の伝染病対策について話し合い、田無署管内の田無町・小平村・保谷村・久留米村(今の東久留米市)・清瀬村・大和村・村山村・東村山村の8か町村で、共同して伝染病の隔離病院をつくることに決めました。これが現在小平市にある公立昭和病院です。

 現在では、「オミクロン株」の対策が、すでに日本でも講じられるようになりました。第6波があることを想定し、病院の努力(病床数と受け入れ態勢の確保)も報じられています。行政・公共機関の施策を享受しつつも、(前号(第8号)と同様ですが、)それでも私たち一人一人は感染防止の手を緩めることなく、日々の生活を送っていきたいものです。

▼これらは、これからも欠かせない。(これらのピクトグラムは、堺市のホームページより一部をダウンロードしたものです。)

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2021年11月19日

会館だより「かけはし」

R03 かけはし11月号@.pdfR03 かけはし11月号A.pdf

ペストから日本を救ったのは…

 かつて、日本は長い間、大陸との交流を閉ざし鎖国状態が続いていました。一方その頃、ヨーロッパではペストが流行していたとのことです。先日、ラジオの放送を聞いていたら、この鎖国状態が、大陸で猛威をふるっていたペストから日本を守ることになったのだそうです。

 ペストはペスト菌による感染症で、皮膚が黒くなることから、黒死病ともよばれ、14世紀のヨーロッパでは、人口の3分の1から3分の2

が死亡したといわれているほど、恐ろしい病気でした。当時の世界人口は4億5千万人くらいだと考えられていますから、世界全体では1億人以上の命が失われたことになります。

 ペストはネズミが媒介する病気です。日本でも明治時代になってから、ペストが流行しかかったことがありました。このとき東京は、役所が駆除の目的で、ネズミ1匹を5銭で買い上げることにしたそうです。人々は争ってネズミの捕獲に当たりました。当時は、もりそば・かけそばが2銭、天丼(並)が5銭でしたから、かなりの高額だったことがわかります。検疫やネズミの駆除などの防疫に努めたため、それ以後、日本国内でペスト患者は出ていません。

 感染症の歴史を振り返ってみても、人流の抑制と検疫の強化が、感染の拡大を防ぐ有効な手段であるということがわかります。様々な規制が緩和されている昨今、それでも私たち一人一人は感染防止の手を緩めることなく、日々の生活を送っていきたいものです。

                                                       (横山  正)

▼現代版「人流の抑制」と「検疫の強化」 日々の生活を救う手だては、これらのほかにもたくさんあります。(これらのピクトグラムは、堺市のホームページより一部をダウンロードしたものです。)

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posted by 豊島修練会 at 10:27| 会館だより「かけはし」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする